梅雨の間はほんとに晴耕雨読。耕さないので晴工雨読かな。ここに来て本を読む時間が増えたし。
そしてすごい本に出会いました。
キャンプ場があるのは南伊豆町の天神原という地区です。海岸から直線距離で1キロ余り、標高300mの山の中の開けたところ。ですが、移り住んだ時から「なぜ、こんな山の中に集落があるのか」が不思議でした。そもそも伊豆半島って真ん中に天城山系があって急峻な山肌、尾根や谷の深いところだし、よくこんなところに道や集落をつくったなあと思うところが多い。
その疑問に応えてくれたのがこの本です。とにかくすごかった!
折を見て、また詳しく書こうと思いますが、簡単に言うと、戦時中に伊豆諸島のごく少ない人が一回疎開で入って、終戦で島に戻り、そこに主に新潟から「静岡県緊急開拓事業」として入植してきたのが始まりだそうです。その頃は伊豆半島に道は沿岸地域しかなく、川端康成の「伊豆の踊子」(映画は吉永小百合さんや、山口百恵さん。なつかしい!)の天城越えの道があるくらい。入植者は沼津から船で近隣の入江、子浦まできて徒歩で登ったそうです。それだけでもすごい!
機械も車もないどころか、一番重宝だったのは北海道開拓で開発された島田鍬という鍬一本だったそう
入植したばかりはそれもなく、ほぼ手作業か手持ちの鉈だったそう。交通手段は徒歩、運搬は人力、土地の開拓、木の切り出し、水、食料の確保、全てが想像を絶する様子がこの本には描かれてます。
そしてこの本は、この歴史を残すために時代が過ぎてから移住してきた有志の方々の、聞き書きという活動で、もう高齢になった当時の方から話を聞いてていねいに文章に起していくというこれまた大変な作業をやっていただいた結果できた貴重な書物です
おかげで伊豆と天神原がもっと好きになった。(最近、よく道の掃除をするようになった理由)
日本の各地にも似たような事例はたくさんあるんだと思います(妻の実家の北海道開拓史もすごかった)。ほんとうは何が大切なのか、思い知らされました。
特に感銘した一文を載せときます。ログハウスの書庫にも追加で置くようにします。ぜひ一読してください。
「食うモンも住む家も何もなくて大変だったけど、みんなでよく働いたよ。金持ちなんてものはいなくて拓いた土地はみんなで平等に分けた。みんなが一緒だったからできたんだ」
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